昭和49年日付不明 徳久家霊祭
私(?)はおかげいただきましてありがとうございました。もうほんとに不行き届きなことでしたことでしたけれども、まー、御霊様も願うたことでしたでしょうけど、皆さんも願いに願うておられたお祭りがね、このような形げ今日はおかげを頂いた。ほんとにあのありがたいですね。あのー、みんな家内子供が相寄って、そしてあの思いを込めてからこうやってお祭りを奉仕する、しかも衣着を正して、えー先生方もこうやって装束をつけてね、衣着を正してということが素晴らしいようですね。あたくしは今日は御霊様の願というか、思いというものをまーいうならあたくしはご心眼に頂いたことはもー、今季節のものです、ほうずきですね。ほうずきを一本頂くんですよ。あと下の二つ三つはもうやんがて切ってちぎって良いように赤く熟れて、上はだんだんだんだん青く小さくして、ね、ここのところがこう熟れて、そしてあれがあの、ほうずきとしての、まーおかげを頂くことが、まー願いだと、まー私はそれを思うたんですけれども、まーひろえさん、まさはるさんあたりが、ほんとに一つおかげを頂いて、素晴らしい結婚生活に入ることだと思うね。親の願いは、もうやっぱこういうことに一番かけられておるような感じだよ。そこでね、自分が我力で、一ついっちょ、あの女をもろうてから結婚しょーとかね、あの人とどうでんこうでん結婚、ではいけない。やっぱりそこの釣り合いというものがあってね。そしてほんとに生涯幸せになる相手で名からなけりゃいけないということですから、おかげを頂かねばいけんのだ。うん。そこでね、おかげを頂かせていただくために、あたくしは、よりもっと本当の信心をすることだ。ね。それで神様のおかげで配偶者が、いうなら徳久家の家が、あー、まさはるさんたちが一家をなし、そしてそれがそんなら、まさはるさんの一家が、またはひろえさんの一家がというように、繁盛のおかげになっていくその兆しが見えてる感じです。だんだんもう熟れていくに違いはない。だからこれが順調におかげを頂いていくことのために、ならより本当な信心をしなければいけない。というのはねあたくし、頂いたことなんですけれどもあの、テレビでようあのー、牧師さんの格好した漫談家かなんかがおろうが。片手にバイブル持ってね。なんか面白いこと言う、あるでしょう。あのあれを頂くんですよ。ちょっと見りゃほんとの牧師のごたるあるけど、実際はあれはほんなもんじゃない。あたくしの母が亡くなった、その密葬ではない。洗礼の晩でした。あのもうそれこそ、共励殿で、あなた方お参りして頂いたあの晩です。あの御霊様に御礼申させてもらいよりましたら、もう稲、粟の穂がね、もうこんなに垂れ下がったおるところをいただいた。はーこれがおばあちゃんの80何年間の生き方であり、信心であり、そして実れば実るほど、ああ言うほな有難い勿体ない生活に入られたんだなーと思うたです。そしたらそれがなんとだんだん変わってね、形は稲、あのー、粟の穂ですけれども、あの粟の穂とは似ても似つかん、雑草の、あれによく似たのがありますよ、それに変わっていくとこを頂いた。それで私、もし御霊様の声、もし御霊様が話されるなら、ほんとに先生ありがとうございますと言うことであろうと、息子の私に対してね。ほんとに生前、ほんとな信心もでけておらんのに、本当の信心がでけたかのようにして、神様がこう言うおかげを下されて有難いと言うことだろうと私思いました。なら私どもが母の信心を見てきておりますが、ほんとなもんじゃないとは、ほんと思われません。このくらい精進した、努力した人はなかろうと思うくらい。けれども見た目、自覚としてはね、ほんとなこともでけておりもせんのに、ほんとなことがでけたようにおかげを下されて有難いと言うことだ。途端に私も思いました。ね。例えばみんなから先生、親先生と言われておるけれども、あたくしぐらいな者を、ほんとな信心がでけたかのように、皆さんが大事にしてくださると言うことは、ほんとに勿体ないことだ。ただもしあたくしどもがです、本当なものを求めておるとか、願っておるとか、それに向かって精進しておることだけは事実です。より本当なものを求めていっておる。だからこれで良いとか、もうあたしだんこんくらいの事しとるけんでとか、良かろうはずが絶対ないと。あなた方の信心でもです。もうほんとにまー、言うならばなんというでしょうかねー、とくしんかのタイプですよね。徳久さんのお母さんなんかは。ですからこれが本当のものになっていく時に、やはりとくしん者として、あのー、神様が認めてくださるようになるだろうと私は思うです。ですから今日あたくしが頂いたそのバイブル片手に、そのー、牧師さんの格好、いかにも本なもんのごたる、本当の金光様の信者のごとしとるけれども、実を言うたら、本当のこともでけてない、本当のことを目指してもいないと言うようなところに気づかせて頂いてね、より本当なものを願い求めてね、こう成長していく。そこにほうずきの、次々と一つ一つね、こう熟れていくおかげを頂いて、それこそ、もう歌の文句にもある、末は夫婦と言うじゃないか、と言ったような歌の文句がありますよね、と言うことをあたしは感じました。これはね、えー親先祖を大事にするという、子供さんたちが、徳久さんのとこはもうそれこそみんな揃うて親孝行ばっかりです。あたくしが見てからそう思うです。けれどもあの神様がご覧になったからの親孝行は違うですもん。ね。親不孝はしよらんけれども、なら親孝行しょうごとしてたまらんといったようなものじゃないという事。なら御霊様でも粗末にはしよらん。けれどもねあたくしはもっと、限りがない。信心には、思いを込めるとか、大事にするという点には。だからあの、あなた方がいわゆる、うー、兄弟三人の者がです、ね、それには嫁も孫たちも、それこそおばあちゃんおばちゃんと、おばあちゃんをいうなら、本当の心からの芯からの親孝行が、いよいよでけることがね、御霊の喜びであり、それをそのまま御霊を大事にすることでもあるのです。うん。そういうところにね、今日のお祭りを境にね、そういうことをわからせて頂いて、一段と、僕らんこんくらいでよかじゃなくてね、本当のものを目指して、神様に一歩でも近づこうとする信心、一歩でもより本当な親孝行のでける精進というか、そういう心がけを持たせて頂くことがね、とりも直さず、御霊、同時に残されておる皆さんの上にも、本当の幸せのいただけるような思いがいたします。本当今日は一つね、今日のお祭りをそういう風に頂いていったら、今日のお祭りは大変な意義の深いお祭りになるですね。